桑山地区の敬老会が9月27日(日)に、桑山分館の主催で80歳以上の高齢者150名以上の参加によって盛大に開催されました。
その中で、挨拶の時間を頂いたので、前日の26日(土)に参加した、『鎮守の森』再生の講演の内容を少し織り交ぜてお話させていただきました。
それは、菅組(三豊市内の建設会社)100周年事業の 『鎮守の森 Project』 の講演会として、マリンウエーブのマーガレットホールで開催されたものでした。
講師の先生は、横浜国立大学名誉教授で植物生態学を専門とする宮脇昭(みやわきあきら)さんでした。
世界中で荒れ果てた大地を、「混植・密植型」の植樹で緑化し、森林の再生に大きな実績を上げています。
1928年(昭和3年)に岡山県で生まれ現在81歳です。
三豊市なら敬老会にお招きする対象の高齢者です。
それにもかかわらず(お叱りを受けるかもしれません)、60年近くの間に重ねてきた実績によって、ゆるぎない筋の通った信念に副ったお話しでした。
この感動を、敬老会参加の皆さんにお伝えしたかったのです。
《桑山地区は七宝山の裾野にあり、この山と共に生きてきました。
きっと、それぞれの時代に相応しい姿として、この山は、例えば100年前と今では大きく変化しているはずです。
松が林立していたときや、桑の木が一面のとき、そして、ブドウやみかんが最盛期の時代など、この地区の生活は七宝山と共に姿を変えてきたといってもいいのです。
「昔は、ああだった、こうだった。」といえるのは、その時代を生き、経験を重ねてきた人だからいえることだと思います。
なぜなら、歴史と風土を語ることと同様だからです。
これからの時代を創って行かなくてはならない私たちは、七宝山の姿をそれに相応しい形としなければなりません。
その確かな方向が、桑山地区をまもる 『鎮守の森』再生なのだと私は考えています。
この地域の潜在自然植生植物の木は、シイ・タブ・カシが主役のようです。
土地本来の木は、深くまで根を張り、地震や豪雨による自然災害を防ぎます。
一人ひとりが小さな苗木を一本でも二本でも植えることが、先ず私たちのできることなのだと考えています。
“1本で木。 2本で林。 3本で森。 5本で森林。” なのです。
長く人生経験を重ねてきた人だからこそ、「昔は、ああだった、こうだった。」と、私たちに大きな声で言い続けて欲しいのです。
私たちは、その声を基礎としてその上に、これからの時代に相応しいものを積み重ねてゆく役割を担っていると思っています。
いつまでも「昔は、ああだった、こうだった。」といいながら、健やかで安らかに楽しい生活を送っていただくことを祈っています。》
私のお伝えしたいことは、このようなことでした。
道をつけ、七宝山の『鎮守の森』再生に取り掛かろうと考えています。
9月定例会・補正予算
平成21年度の三豊市議会9月定例会が閉会して、一週間が過ぎようとしています。
シルバーウイークと称される秋の連休をはさみ、政務調査費に関する問題で何かと慌しく、この議会に上程されていた補正予算の報告が遅くなっていました。
今議会の補正前の予算総額は278億85,379千円でした。
これに対して開会当初補正額14億2,889千円と開会中の追加補正として85,000千円で、併せて14億87,889千円となり、予算総額は歳入歳出いづれも293億73,268千円となります。
《歳入の主なもの》
・地方特例交付金 29,775千円
・地方交付税 651,447千円(地域雇用創出推進費として)
・国庫支出金 94,346千円(子育て応援特別手当給付事業補助金64,670千円、理科教育振興費補助金22,799千円、合併推進体制整備費補助金3,002千円他)
・県支出金 19,297千円(緊急雇用創出基金事業7,409千円、消費者行政活性化基金事業2,556千円、小規模ため池緊急防災対策モデル事業3,000千円、職員の勤務時間縮減に関する調査研究事業3,030千円他)
・寄付金 11,300千円
・繰入金 ▲405,847千円(財政調整基金▲407,457千円他)
・繰越金 357,387千円(前年度繰越金)
・諸収入 42,684千円(農地有効利用支援整備事業交付金37,500千円、公共事業保証金4,783千円他)
・市債 600,000千円(豊中庁舎跡地整備事業債・合併特例債408,500千円、臨時財政対策債190,500千円他)
歳入の追加補正として、
・繰入金 45,000千円(財政調整基金・21年度末見込み5,715,643千円)
・諸収入 37,500千円(農地有効利用支援整備事業交付金)
《歳出の各課別内訳の主なもの》
・総務課 3,953千円(市長選挙と市議会議員選挙の公報作成及び配布他)
・政策課 457,624千円(豊中庁舎跡地整備事業439,200千円、バイオマスタウン構想推進事業8,400千円、財田西用水改修事業5,250千円他)
・財政行革課 668,998千円(財政調整基金積立金180,000千円、公共施設整備基金積立金230,520千円・21年度末見込み998,421千円、繰上げ償還費275,792千円他)
・水処理課 6,213千円 (集落排水事業特別会計繰出し金5,145千円・緊急雇用創出基金事業他)
・子育て支援課 111,350千円(子育て応援特別手当給付事業67,598千円、出産祝い金支給事業8,900千円、保育所賃金単価調整31,475千円他)
・農業振興課 58,907千円(農地有効利用支援整備事業50,000千円、小規模ため池緊急防災対策モデル事業6,000千円他)
・建設課 52,700千円 (市道維持管理事業50,000千円他)
・学校教育課 69,163千円(理科教育振興事業45,600千円、施設設備修繕10,443千円他)
・生涯学習課 3,262千円
以上のようになっています。
緊急雇用創出など経済対策に関する事業と、選挙前の駆け込みのような子育てや教育に関する補正事業が目に付きます。
簡単ですが、9月定例会・補正予算の報告を終わります。
地域資源としての地元企業・15
地域資源としての地元企業シリーズとしては、これまでの一年半ほどの間に14社の紹介をしてきました。
15社目の今回は、三豊市三野町大見にある石川土地家屋調査士事務所の石川裕之代表にお話を伺いました。
当事務所は、四国八十八ヶ所巡りの71番札所のいや谷寺へ向かう道沿いにあり、三豊平野を一望する小高い位置にあり、良い自然環境の中にあります。
石川さんは丸亀市出身ですが、親類が三野町に多いこともあり、この地に平成10年3月、29歳のときに開業して11年が経過しました。
この間、高松や中讃地域の司法書士事務所や住宅建設会社などを顧客として、忙しく経営を軌道に乗せてきました。
なぜ、土地家屋調査士になったのですか?の質問に対して、
「僕は本番に弱いんです。
模擬試験は抜群に良い(本人曰く)のに、高校受験本番で失敗し、最初の挫折を経験しました。
そして、大学受験で医者を目指して一浪したのですが、サンター試験で失敗し国立大学医学部を断念しました。
これが2度目の挫折でした。
さっさり医学部を諦め進路変更して、その時点でまだ受験日に間に合ったのが、たまたま日本大学文理学部応用地学科で、ここしかなかったのです。
東京での大学時代は、ちょうどバブル経済真っ只中で地上げ真っ盛りでした。
4年のときそれが崩壊しました。
大学では、地上げの研究をしていました。
平たく言えば “土地の価格はなぜ上がるのか” ということです。
このときに初めて、土地家屋調査士という資格のあることを知ったのです。
卒業後帰郷し、しばらくぶらぶら日本中を旅行などしていたのですが、いつまでもそうばかりはしていられないと、何で儲けようかと考えた結果、資格をとる(受験する)ことにしました。
試験を受け、それに合格し資格を取得することは、高校・大学受験での挫折に対するリベンジだったのです。
それが、土地家屋調査士への挑戦でした。」
と、まあこんなお話でした。
最後に、事業のこれからの展望についてお聞きしました。
農地に関する法改正を控えて、土地利用に関わる業界はますます厳しくなると予想されるため、そのためにも、自分の人生経験を生かした教育関連事業(進学塾・資格取得支援など)で、地域に役立つ人材育成に貢献できる事業に着手しようとしている、とのことです。
余計な苦労はしたくは無いものですが、その人にとって良い塩梅の苦労というものがあるとするならば、彼にとっての挫折は、「人」を育てる適切な糧となっているようです。
石川裕之さんと始めて知り合った時から、人なつっこく穏やかな存在感のある雰囲気を醸していましたから、まさか、こんなにユカイ?な経歴を持っているとは想像などできませんでした。
こんな面白い話を直に聞けるとは、15回を迎えてようやく地元企業訪問の本当の意味と目的を感じたりしています。
“挫折” という言葉に “挑戦” という意味のあることに気づいた、豊穣の秋の日の訪問でした。
三豊市中小企業振興事業
三豊市は、地元の中小企業振興を図るため、今年度いくつかの施策を検討し予算化しています。
100年に一度といわれる悲惨な経済環境にあって、民間企業の個々の努力だけでは、とうてい対抗できない現状があります。
今こそ、行政を含めた地域全体が協力した、地域活性化(まちづくり)の根幹を成す、産業振興が必要とされているのです。
なぜ、三豊市が中小企業振興政策に、本気で取り組まなければならないと考えいたったのでしょうか。
日本の社会のこれからのあり方を考えるとき、常に 「地方分権」 「地域主権」 そして 「地方政府」 などという言葉が使われ、異口同音に “地方の自立” が不可欠だといわれてきました。
そこには、地域や地方の “経済的な自立” なくして、その実現はできるものではないことが大前提にあるのです。
バブル経済崩壊後、中央資本の大企業の工場は、地方の事情などお構い無しにさっさっと撤退し、経済的にも人材的にも地方は大きな打撃を被ったのです。
今、「地方政府」 に課せられた仕事は、この轍を二度と踏まない決意と政策立案が必要なのです。
どこにも逃げない、地域と共に歩み人材の受け皿となる、地元資本の中小企業を支援し育成することが、結果として経済の安定と強化となり、 “地方の自立” のにつながるという、必然のことに気づいたのでしょう。
21年度に予定している主な事業として、
先ず、積極経営で活躍する中小企業経営者による 『中小企業振興協議会』 の設立があります。
設立の目的は、
・情報交換
・情報収集
・的を射た施策の検討
・市行政施策の推進
・異業種交流事業
・他の経済団体との交流
などです。
他に、『三豊市ものづくり大賞』事業など、何点かの事業が予算化されています。
既にある手法の二番煎じだと揶揄する声も聞こえるかもしれませんが、私の感覚からするとすごいことだと思っています。
数回にわたり、議会の一般質問で中小企業振興施策の必要性を訴えてきた私にとっては、 「思いは伝わる。三豊市もやればできる!!」 の意が強いのです。
他の借り物でなく、自らが思考を重ね打ち出された事業ならば、中小企業振興施策として必ずや実を結び、地域経済活性化に貢献するものと信じています。
中小企業振興による地域経済活性化の筋道が、 『三豊市中小企業振興基本条例』 の理念として刻まれることを期待しています。
月間「MOKU」
つい先ほどまで、MOKU出版の “月間「MOKU」 3月号” を読んでいました。
ある日、本が送られてきて電話がかかり、 「ご一読いただけませんでしょうか」との女性の声でした。
何やら怪しげで難しそうな雑誌だと、躊躇していたのですが、パラパラと目を通すと、「裁判員裁判について」の特集が綴られていました。
現代の日本の抱える問題点や課題、そして日本人の心の有り様など、このまま放置していると国の存続すら危うい現実をテーマとした、正眼の構えのように真正面を向いた内容となっているではありませんか。
どうでもいい芸能界ネタを扱う雑誌とは比較にならない充実ぶりで、同じ出版物として同類に扱うことすら、はばかられるものでした。
数日後、再び出版社の女性から購読の勧誘があり、心の赴くままに「一年間お願いします!」と即答していたのでした。
未だにその出版社がいかなる正体なのか、私は知りませんし知ろうとも思っていません。
唯一、私が共感し理解しているのは、この “月間「MOKU」” の創刊理念が “生きる意味を深耕する月刊誌” だということより他にないのです。
今まさに、心の時代であり、日本人の生き方を考えるときだと思っています。
日本はこのままではだめだと思っている皆さん、是非ご一読をお勧めします。
“ゴミ処理問題に関する請願書”再審議
9月議会開会中の教育民生常任委員会が、9月10日(木)開会されました。
前の6月議会開会中にこの常任委員会で審議された結果、「内容再検討のため」の理由で請願取り下げとなっていた、 “ゴミ処理問題に関する請願” が、請願者より内容再検討により修整再提案され、これに対して議論が交わされました。(6月27日付けの書き込みを参照してください)
請願の要旨及び理由は次の通りです。
30分を超える議論の末、当常任委員会委員長を除く9名による挙手採決によって、賛成5で採択となり、本議会に常任委員長から審議結果の報告が行われることとなります。
2回の定例会にわたっての請願審議の議論の中で、改めて三観広域行政組合による、ゴミ処理施設のあり方を熟慮することの掛け替えのないことを腹の底から感じた委員会でした。
9月18日(金)の第3回三豊市議会定例会最終日に、付託案件審査報告の後採決の運びとなります。
結果は如何に・・・・・・・・・・・
第1回菜の花・交流会
徳島県三好市(旧池田町)のレストラン 『太陽がいっぱい』 のオーナーである久保さんが中心になって運営しているルネサンスの会本部が、このレストランを会場に “第1回菜の花・交流会” を開催しました。
開催日のこの日9月3日(木)は、主催者の久保さんの都合などお構い無しに、一緒に三豊市から参加した詫間町の料理研究家である前山さんの都合(わがまま)で決められたようなものですが、三豊菜の花プロジェクトからは18名が参加し、私も機嫌よくプロジェクトの一員として同行しました。
到着して店内に入って、ビックリ!
30人くらいのこじんまりとしたお楽しみ会位に思っていたのですが、三豊市の参加者も含めて80人を数える立派な交流会となっていました。
参加団体や所属は、三豊菜の花プロジェクトの他、徳島県から県庁農林水産政策部、三好市から産業観光部の行政関係者など、徳島県内で活動しているグループで、上勝町・菜の花倶楽部(廃食油の全町回収)、阿南・菜の花フレンド(菜の花でまちづくり)、池田博愛会・セルプ箸蔵(菜種油の搾油施設・みよし菜の花プロジェクト)、徳島県立三好高等学校(搾油の試験研究・みよし菜の花プロジェクト)です。
そして、耕作放棄地の再生に協力する、(株)四国クボタ(クボタeプロジェクト・1クール支援)、みよし菜の花プロジェクトの関係者の皆さんでした。
ルネサンスの会本部の久保さんを中心に、菜の花を核として、菜種収穫の後の7~10月の4ヶ月の間“いやそば”を作付けし、収益に当てようとするなど様々な農地再生の可能性を探っています。
標高700mを超える位置にあり、もう少し行けば雲辺寺にという中腹にある菜の花栽培地は、かつて、この地域で行われた32億円の国費を投入した国家プロジェクトの成れの果てなのです。
巨人がしでかし、ほうり出した耕作地を、今、アリのような小さな地域市民の仲間のエネルギーが再生しようとしているのです。
三豊市にも活用できる事例の多くを学ぶことのできたことと、可能性をあきらめないことの大切さを改めて気づいた刺激いっぱいの一時でした。
黄色は幸せの色です。
菜の花をいっぱい咲かせ、三好市と三豊市の大地のカンバスに黄色に塗り込められた風景画を描くのだと、進むべき方向を判然としてくれる交流会でした。
私の住む三豊市豊中町桑山地区に、この秋菜種を2反ほど蒔きます。
9月8日(火)夕方に、その栽培地に三豊菜の花プロジェクトの看板を立てる予定です。
三豊菜の花プロジェクトは、みよし菜の花プロジェクトと共に本格始動を始めます。
9月定例会始まる・・・もうすぐ一般質問です
9月1日(火)に平成21年第3回三豊市議会定例会が、18日(金)までの18日間の会期で開会されました。
初日は、上程された全議案31件の説明がなされ、20年度決算関係議案14件は、決算特別委員会へ付託され、補正予算を含むその他の17件は、所管の関係常任委員会に付託され、これから集中審議されることとなりました。
9月4日(金)から、一般質問が始まります。
今回の発言通告は17名の議院から出されており、3日間にわたって行われる日程となっており、私は14番目で、3日目の9月8日(火)となっています。
今回の件名は 「障害者 移動支援事業について」 と 昨年12月議会に一度行った 「空家廃屋対策について」 で、2件を予定しています。
「障害者 移動支援事業について」
当事業は、地域の実情に合わせて実施できるように、市町村地域生活支援事業の中に位置づけられている。
一方で、当事業の有効な活用のためには、移動支援を行う事業者の育成と良質な人材確保が不可欠である。
・利用の実態
・事業者の状況
・人材確保につながる報酬体系になっているのか
について問う。
「空家廃屋対策について」
昨年12月議会において、同様件名の質問をした。
現行の法制では個人所有財産に対する、他者の介入は困難であり、行政も同様であるとのことだった。
しかしながら、人口減少による過疎化の進行で、管理放置された『空家廃屋』はさらに増加している。
市内の実態把握調査の有無と、現行法制に対する認識を問う。
今、原稿を書いているところです。
地域主権と経済成長戦略
残暑厳しい、暑く過酷な12日間の衆議院選挙が、民主党の驚くような大勝で終わりました。
民主党は、地域主権をマニフェストに掲げて選挙戦を戦いました。
「国と地方の協議機関」を法制化し、地域主権に向け地方分権改革を進めることを明記しています。
地方の財源の一部には補助金がありますが、これを地方自治体が独自に使途を決められる交付金とするともしています。
地方分権や地方主権、地方の自立とよく言われてきましたが、それは地方経済の自立と財政基盤の安定あって始めて実現するものです。
これまでの地域経済の活性化や財政基盤の強化は、中央資本の大企業の工場誘致などが主たる手法で、日本全国津々浦々で同じ策が繰り広げられてきました。
ところが、バブル経済崩壊を機に、地方にあった工場は汐が引くように撤退し、後には荒涼とした跡地と職を失った人々が残されたのです。
地方経済にあって、もう二度と大企業や中央資本の都合に振り回されないためにも、地域に根を下ろしここで育ちどこにも逃げない、地元資本の中小企業・地域産業の育成が先ず重要なことなのです。
民主党には、10年後、20年後のこの国のかたちを見据えた、地域主権を実現するための経済成長戦略を、ただちに私たちに示して欲しいと強く願っています。
地域資源としての地元企業・14
先月先々月に続いて、今回も三豊市仁尾町の企業訪問をしました。
「お盆休みが終わったら、今月もどこかに取材を申し込まなくては」と、思っていたのですが、のりピー事件や甲子園、衆議院選挙、さらに夏の日差しのきついことなど、言い訳をすればきりが無いのですが、たちまち8月も終わろうとしています。
そんなこんまで、あわてて訪問の電話をして、このばたばた劇にお付き合いいただいたのが、地元生産の青果物を仕入れ販売する卸業を営む、(有)三宅青果 後継者の三宅博美さんでした。
こんな事情にもかかわらず、にこやかに気さくに迎えていただき、三宅さんの人柄の良さが瞬時に伝わってきました。
三宅さんは、男三人兄弟の長男(私も同じです)でもあるため、大阪の大学を卒業後、家業を継ぐ勉強のために、そのまま大阪に止まり青果市場へ就職し、5年間青果物の流通の修行をしました。
帰郷して8年ほどになりますが、今34歳で、先月訪問した “プリマーレ はやしや” の林達二さんとは同級生だとのことで、家業を持つ家に生まれたものとして、どこか似た人生を歩んでいるようです。
(有)三宅青果は、博美さんのおじいさんが戦後、この仁尾のまちで農家と共に栽培し販売できる農作物はないかと考え、イチゴの苗を持ち込み農家に販売したのが始まりだそうです。
その後、イチゴから みかん びわ 等へと作物は移り、特に曽保ブランドのみかんは一時代を築いてきました。
残念ながら、現在の仁尾町ではイチゴ栽培農家は皆無となっていますが、おじいさんから現社長のお父さんへと受け継がれた、地産作物を農家と共に育て販売するという、地域に根ざすことを大切にする精神に歪みはないようです。
昨年の世界的な金融破たんによる日本経済の低迷で、食卓の中で果物は一番に買い控えの対象となっていて、厳しい経営環境にあるとのことです。
しかし、青果物の扱いだけではなく、企画外品をジャムなどの加工品として、年間通して安定経営できるよう、商品開発に取り組んでいます。
今、新たな企業経営へのスタートラインに付いたようです。
取材で訪問した翌朝の四国新聞に、私たちの仲間である高松の 『スカイファーム(川西社長)』 が、地元のケーキ屋さんと協同開発した “イチゴマシュマロ” の記事が掲載されていました。
先進的な農業経営者や異業種経営者とも知り合い学びあって、仁尾(三豊)発の名物スイーツで大きく羽ばたいて欲しいと、心から期待しています。
訪問した日がちょうど、市場の休日の関係でお休みだとは知らずに、押しかけて申し訳ありませんでした。
家族サービスもしなければならなかったのでしょうが、時間を割いていただきありがとうございました。
奥様によろしくお伝えください。
ありがとうございました。
有志による新商品開発プロジェクトの立ち上げの可能性を感じた訪問でした。