地域資源としての地元企業・15

地域資源としての地元企業シリーズとしては、これまでの一年半ほどの間に14社の紹介をしてきました。
15社目の今回は、三豊市三野町大見にある石川土地家屋調査士事務所の石川裕之代表にお話を伺いました。
当事務所は、四国八十八ヶ所巡りの71番札所のいや谷寺へ向かう道沿いにあり、三豊平野を一望する小高い位置にあり、良い自然環境の中にあります。
石川さんは丸亀市出身ですが、親類が三野町に多いこともあり、この地に平成10年3月、29歳のときに開業して11年が経過しました。
この間、高松や中讃地域の司法書士事務所や住宅建設会社などを顧客として、忙しく経営を軌道に乗せてきました。
なぜ、土地家屋調査士になったのですか?の質問に対して、
「僕は本番に弱いんです。
模擬試験は抜群に良い(本人曰く)のに、高校受験本番で失敗し、最初の挫折を経験しました。
そして、大学受験で医者を目指して一浪したのですが、サンター試験で失敗し国立大学医学部を断念しました。
これが2度目の挫折でした。
さっさり医学部を諦め進路変更して、その時点でまだ受験日に間に合ったのが、たまたま日本大学文理学部応用地学科で、ここしかなかったのです。
東京での大学時代は、ちょうどバブル経済真っ只中で地上げ真っ盛りでした。
4年のときそれが崩壊しました。
大学では、地上げの研究をしていました。
平たく言えば “土地の価格はなぜ上がるのか” ということです。
このときに初めて、土地家屋調査士という資格のあることを知ったのです。
卒業後帰郷し、しばらくぶらぶら日本中を旅行などしていたのですが、いつまでもそうばかりはしていられないと、何で儲けようかと考えた結果、資格をとる(受験する)ことにしました。
試験を受け、それに合格し資格を取得することは、高校・大学受験での挫折に対するリベンジだったのです。
それが、土地家屋調査士への挑戦でした。」
と、まあこんなお話でした。
最後に、事業のこれからの展望についてお聞きしました。
農地に関する法改正を控えて、土地利用に関わる業界はますます厳しくなると予想されるため、そのためにも、自分の人生経験を生かした教育関連事業(進学塾・資格取得支援など)で、地域に役立つ人材育成に貢献できる事業に着手しようとしている、とのことです。
余計な苦労はしたくは無いものですが、その人にとって良い塩梅の苦労というものがあるとするならば、彼にとっての挫折は、「人」を育てる適切な糧となっているようです。
石川裕之さんと始めて知り合った時から、人なつっこく穏やかな存在感のある雰囲気を醸していましたから、まさか、こんなにユカイ?な経歴を持っているとは想像などできませんでした。
こんな面白い話を直に聞けるとは、15回を迎えてようやく地元企業訪問の本当の意味と目的を感じたりしています。
“挫折” という言葉に “挑戦” という意味のあることに気づいた、豊穣の秋の日の訪問でした。