三豊市民クラブ 視察研修・1-②

地域医療セミナーの二人目の講師は、福井県おおい町国民健康保険名田庄診療所所長 中村伸一先生です。
過疎高齢化の著しい地域唯一の診療所で、20年近くの間、寄りそう医療を実践してきました。
その活動は、NHKのテレビ番組 『プロフェッショナル 仕事の流儀】 でも紹介されました。
「自宅で大往生~地域に寄りそう医療の形~」 の演題で、小野剛先生の取り組みとあわせ、医師不足や医療崩壊などといわれる今日の医療の抱える大きな問題の、解決の糸口になるお話でした。
ここ2~3年、マスコミの取材が多いのですが、特別なことをやってきたわけではないことを伝えています。
「当たり前のことを当たり前にたってきた」 ことと、 「地域の人に支えられてきた」 ことです。
今はインターネットなどで広くつながりを持てる時代ですが、名田庄に赴任当時はそのようなものはなく、地域が強いつながりで成り立っていることを感じました。
どこの誰であるかを屋号で呼び合ったり、家族3~4世代同居は当たり前で、家で死にたいという願いが強かったのです。
往診して初めて知ったことは、高齢者の患者が足を引きずり必至になって通院していたことや、長年寝たきりで3年以上も風呂に入っていないこと、病気がきっかけでじいさんとばあさんが、施設と子ども宅に別々に暮らさなければならなくなったことの、地域の現実でした。
そのことが、普通の医療・福祉・介護の困難な状況が生まれていたのかを考えるきっかけとなりました。
この地域の人々は、 「家で最期を迎えたい」 と願い、家族もそれを支えようと思っているのです。
この思いに応えようと、平成3年、保健・医療・福祉を連携するために、役場の住民福祉課・診療所・老人福祉センター・社会福祉協議会からなる 「健康と福祉を考える会」 を結成しました。
福祉バス(ふれあい号)を購入し、バスによる移動デイサービスを開始して、気がつけば年間900件もの訪問の実績をあげていました。
一方で、在宅ケア講座で育ったデイサービスボランティア 『やすらぎ会』 の活躍で、住民を巻き込んだ活動が展開されてきました。
平成11年には、保健・医療・福祉の総合施設である 「あっとほ~む いきいき館」 が完成し、私が診療所長と保健福祉課長を兼任して、医師2名・常勤スタッフ28名体制で、ハードとソフトともに地域を支える基盤が整い、保健・医療の統合ができました。
この体制のおかげで、平成12年度からの介護保険制度導入には、課長として業務を順調に進めることもできました。
これまで 「小さな診療所だからこそできること」 を探してきました。
診断・治療・看取りのすべてに関わってきたことや、致命的誤診と自分自身が病気を患ったことで、自分が 「地域を支えているつもり」 が、実は 「地域に育てられ、地域に支えられてきたのは自分自身だった」 ことに気付いたのです。
「医療崩壊」と言われていますが、その根底には患者側と医療者側の相互不信があるようです。
その大きな溝を埋めるには、 「お互い様」 の心を持った相互信頼がなくてはなりません。
できる限り短い入院で治療し、あとは自宅で最期を迎え、看取るのです。
私は、それに寄りそうのです。
“自宅で大往生” できる寄りそう医療がこれからの地域医療の形になるのだろうと思いました。
折りしも、三豊市粟島の診療所閉院の動きがありました。
昭和31年から55年間、民間医療機関として塩月先生が診療に当たってこられましたが、高齢のため閉院したいとのことでした。
三豊・観音寺医師会の調整で、医師を派遣していただけることとなり、今後、三豊市国民健康保険直営診療所として、医師1名と看護師2名体制で、次代の地域医療機関として再出発することとなります。
塩月先生長い間本当にお疲れ様でした。
中村先生の人柄が伝わる人間味溢れるお話は、当市の具体的な事例と重なり、地域医療に対する心構えを示唆してくれたものと思います。