香川県教育カウンセリング協会公開講座

香川県教育カウンセリング協会による、明治大学教授諸富祥彦(もろとみよしひこ)先生の「実存主義的カウンセリング」の特別公開講演を受講しました。
先生は、筑波大学卒業後同大学院を修了し、千葉大学助教授を経て現職となっています。
教育学博士であり、臨床心理士、認定カウンセラー、上級教育カウンセラー、学校心理士などの資格を有し、「悩める教師を支える会」代表や「日本カウンセリング学会」理事など、多くの役職に就かれています。
不勉強で知らなかったのですが、この業界?では自称“もろとみファン”という人も多くいるとのことで、実際、「実存主義的カウンセリング」といった、私のような基礎知識のない者にとって、ちんぷんかんぷんなテーマでありながら飽きさせない、あっという間の3時間でした。
さすがに人の心を掴むプロフェッショナルです。
会場の参加者の大方は、今教育現場の最前線に立つ先生方で、特に小学校の先生方が多くを占めていました。
まさに、今始まったばかりの特別支援教育への対処に道筋を見つけるためと、子どものこと(心の様)を知りたいという、先生方の熱い思いの表れであると感じました。
「実存」とは何か。
「実存」とは、定義で一定の枠にはめられる「本質存在」に対して、その枠からはみ出るものを「現実存在」という。
「現実存在」の「実」と「存」を採り「実存」という。
人間はどうか。
ある人は「人間とは感情的な存在だ」といい、またある者は「理性的な存在だ」と、また「幸せを求める存在だ」などという。・・・・・・・・・私(詫間)は「人間とは不確かな存在だ」と思っています。
人間とはこういうものだと枠にくくれない。
だから人間は実存的な存在だ。
それならば、ひとくくりできない人間という存在を、どのように理解し対処してゆくのか。
理論的理解・診断的理解・実存的理解とあるが、とどのつまり本気でその人やその子どもと一緒にいて、自分の心を磨く実存的理解より他にない。
人も子どもも、それぞれ(現実存在)なのだから。
今日ここに子どものことを知りたくて勉強に来て、解ったつもりにならないで欲しい。
いくら勉強をしても、結局子どものことは解らないのだから。
しかし、勉強しなくてよいといっているのではない。
しないよりしたほうがよいに決まっている。
なぜなら、子どもと接する中で何らかの役には立つだろうから。
解ったつもりにならずに、子どもと本気で向き合うより他にないことを知って、今日の話を聞いて取り組んでいただきたい。
カウンセリングにおける実存的アプローチの中で、“気づきと学びのアプローチ”がある。
この考え方の基本は、人生のすべての出来事には意味と目的があり、すべては自己成長のためにあるというものだ。
すべてに意味があり、気づき、成長する。
その子と一緒にいることでその子を知り、その子なりの成長の時間を共有し、この時間の中で、その時にできることを探し出すことだ。
今の教育の現場は、その子がなぜそうなったかの原因探しばかりをし、解決策を導いてこなかった。
これからは、原因探しを止めて出来ること探しをすることだ。
心理学者のビクトール・フランクルは、絶望のナチス・ドイツ収容所時代のことをこのように言っている。
「生きるのが虚しいとき、三つの価値を見つけようとした。
ものを創る“創造価値”、人や事との出会いの“体験価値”、困難な運命に耐え抜いて得た“態度価値”によって、生きる意味を見つけだした。」
これによって、収容所の多くの人は自らの命を絶たずに生き抜いた。
これを言葉にすれば、
「どんな時も人生には意味がある。あなたのことを待っている人や、必要としている誰かがおり、あなたのことを必要とする何かがあり、あなたに出来ることがある。」
「あなたが人生を諦めたときも、人生はあなたをあきらめはしない。あなたが息をひきとるまで。」
である。
実存主義による教育カウンセリングは、自分の人生を自分で決めて(創って)ゆく「自己決定」と、「出会い」である。
「自己決定」とは、自分の人生の主人公は自分であることに気づき、自覚することである。
そのために今求められる力は、学力よりも“キャリア力”と“結婚力”であると思っている。
「出会い」とは、自分を持った人間同士が心のふれあいをすることだ。
だからこそ、今日お集まりの皆さん一人一人が子どもたちと同じ時間と空間を共有していただき、“気づきと学びのアプローチ”で正面から取り組んでいただくことを期待したいと思う。
“結婚力”という言葉があったのですね。
これはすごいと思いました。
若いカップルに「つき合って欲しいとどちらから告白したのか」についてアンケートを採ったそうです。
その結果、6割を超えて女性からだったそうです。
その女性に、さらに聞くと9割を超えて「本当は男性から告白して欲しかった」と応えたというのです。
女性からすれば、いくら待っていても男性から声をかけてくれないから、しびれを切らしたということです。
強い男を育てることは、色んな意味で大いなる価置を持っていると思います。
いみじくも、諸富先生は次のようにおっしゃいました。
「七転び八起きのくじけない心を養うことは勿論ですが、出来れば男の子中心で家事の手伝いをさせること。そして、お母さんには、男の子が自慢に思えるような、小綺麗なお母さんでいつまでもいて欲しいのです。男性が女性に告白できるかできないかは、少なからずこのことが影響していると思うのです。」
人間という生き物の本能を、人間らしく覚醒させることが重要なのだと感じた、最高の講演でした。