家の前にあるベリーAのブドウ畑を、なんでも作付けできる畑に変えようと、ブドウ栽培につき物の棚を撤去するために、この土日の2日間時間を費やしています。
父の死をきっかけに、これまでいつ切ろうかと迷っていたことが一挙に動いています。
この畑には野菜や花を植えようと考えていて、家族の食べたい野菜や好きな花などを育てようと話し合っています。(でき過ぎればご近所におすそ分け)
私たちの住むこの地域に相応しい、新たな農業の形が求められているのは今更言うまでもありませんが、自分自身がやってみないことには何も進まないことも分かっていました。
目標は、先日講演を聴いた (有)コスモファーム の中村敏樹さんの教えを実践することです。
その時に紹介のあった色んな面白そうな野菜栽培に、挑戦してみたいと思っています。
・色つきカリフラワー(緑・紫・オレンジ色など)
・アイスプランツ
・黄かぶ
・黒丸大根
・パリジャン(丸い人参)
・セルバチコ
・黒キャベツ(カーボロネーロと言うらしく、葉がちじれている)
・セロリアック
・青長だいこん
・ビーツ
・はつか大根
・カタローニャロッソ(イタリアタンポポ)
・ロッサ
・フェンネル
・トレビス
・山葵菜
・プンタレッタ
・ロマネスコ(フランスのカリフラワー)
など、わけもわからず、その時に出てきた野菜たちです。
勉強しながら、少しずつ取り組もうと思っています。
近日中に軽くトラックターで地ごしらえをするつもりです。
こんなことを考えていられるのも、長い間父とともに農業をやってきた母が元気でいてくれるからです。
私一人では何にもできないのは当然のことです。
家族が助け合い(母に使われ)ながらできる “農業への挑戦” の大きな一歩だと思っています。
地域包括支援センター
認知症を発症しかかった家族を抱える家庭には、想像できない不安と色んな姿があります。
個々の症状にあった対応が欠かせません。
三豊市地域包括支援センターでは、介護、福祉、健康、医療などのあらゆる面から、高齢者がいつまでも住み慣れた地域で暮らせるように、その人にあった相談・助言・紹介をおこない、サービスの提供へとつないでいます。
今日は、三豊市の職員さん(社会福祉士・保健師)のすばらしさを実感させていただきました。
明らかに認知症初期の症状にあるご主人を世話する、家族の方の生の声に正面から耳を傾けていただき、心から感謝しています。
悩み苦しむ当事者にとって、先ずは “声を聞いてくれる” ことで心が安らぎ一歩前進するのだということです。
仕事とはいえ、福祉サービスの原点を見た思いです。
これ以上言葉が出てきません。
ありがとうございました。
「明日の農業について考えよう」講演会
「三豊市は、野菜の栽培に適した気候風土を持っている。
独自の新たな農業のチャレンジができます。」と、その人は断言していました。
1月30日(金)の夜、三豊市豊中町公民館大ホールで明日の農業を考える講演会が、三豊市役所フルーツ王国推進室の主催によって開催されました。
その講演の中での言葉でした。
その人とは、高松で多種多様な野菜を栽培する、(有)コスモファーム 代表取締役 中村敏樹さんです。
少量・多品種の「差別化農産物」の生産や流通に力を入れており、日本ベジタブル&フルーツマイスター協会講師、野菜生活塾塾長として、全国各地で講演をおこなっています。
新たな農業の取り組みとして、ブランド化された 「鎌倉野菜」 を事例に話が進められました。
『日本の農業の現状は、年収平均60万円で後継者が育つはずが無い。
狭い面積でも効率的な農業を探らなくてはならない。
鎌倉では、「鎌倉農協連直売所」があり、開店のAM7:00前からオーナーレストランのシェフが並んで待っている。
鎌倉で作られた野菜を使ったレストランが大人気となっているからだ。
その理由は、伝統野菜や外国種の野菜が豊富に品揃えされていて、オーナーシェフは店オリジナルのベジタブルメニューを提供できるとことにある。
このことで判るのは、農業のマーケティングの重要性がはっきりすということだ。
客の欲しがるものは何なのかを見つけ、その要望にどのような作物で応えるのかであり、この上に、その食べ方の提案ができれば更に良い。
通称 「連売所」 では、27戸の農家が会員となり運営している。
1.2haに約70種類の野菜・ハーブを作付けし、年間2,000万円を超える売り上げの農家もいる。
これまでの日本の農業から、新たな農業の取り組みが必要だ。
「大規模・単一品目専業経営」 「ハウスなどを活用した周年生産」 などの従来の農業経営から脱却し、「旬」 「新鮮さ」 「本物の味」 などをキーワードに、新たな価値を追求する農業経営へ移行することだ。
その背景には、“こだわり志向” “健康志向” “本物志向” があり、これらの志向はこれまでの大量生産・大量消費の反対をさすものだ。
まさに、「鎌倉野菜」に例を見る少量・多品目の農業経営が明日の農業ではないか。
三豊市の気候風土に適した農業へチャレンジしよう。』
三豊市の農家や農業の現状を受け入れ、やる気さえあれば新しい展望が描けるお話でした。
「明日の農業について考えよう」 から 「今やれる農業にチャレンジしよう」のメッセージを強く感じました。
私も先ずは、自分が食べてみたい、育ててみたいという素直な気持ちを大切にして、家庭菜園から始めようと思っています。
今朝、初めてブロッコリーの収穫を経験しました。
少しずつ芸が増えてゆきそうです。
障害児の療育・教育環境のこれから
日常生活で医療行為を必要とする身体障害児が幼稚園へ入園する場合、保護者が付きっ切りになることによって、ようやく受入られるようになるようです。
付きっ切りを強いられることにより拘束されることの保護者の負担は、大変なものがあると想像できます。
この負担を解消するための施策が、全国的に見てどの程度前例があるのかは、充分な調査ができておらず不明ですが、今後、子育て支援と療育や教育の問題として語られるのではないかと思います。
「少なく生んで、丁寧に育てる」
このような時代になったことを感じるとともに、この流れに適応する制度と取り組みが、新たな行政課題になりつつあることを感じています。
なぜなら、授かった生命への両親の深い愛情と医療技術の進歩によって、これまでならば救えなかった掛け替えのない生命が、救われてつながる可能性と確立が格段に向上した結果だろうと考えられます。
未婚・晩婚・晩産化が進行し、出生率低下とともに少子社会が深刻な問題となっていますが、望まれてこの世に生を受けた子どもたちの中には、様々な形の障害を持って生きる子どもたちが存在するのも受け入れなくてはならない現実です。
よって、障害者自立や男女の就労機会均等がいわれる今、日常生活で医療行為を必要とする障害児とその保護者に対する、かかわり方の問題が表面化することとなります。
この子たちが、友達と同じ幼稚園で遊び学ぶことのできる療育・教育環境と仕組みの模索が、求められると感じています。
「大平正芳」
丑年だからというわけではないのでしょうが、『鈍牛』と綽名された 元首相 故・大平正芳先生の、政治家としての生涯を著した本を手に取る幸運に恵まれました。
福永文夫著 《大平正芳 「戦後保守」とは何か》の題名で、帯には
“戦後政治を問う~派閥抗争に揺れた1970年代、21世紀を見据え、「戦後の総決算」、消費税導入を訴えた大平。初の衆参同日選挙戦最中、急死した「戦後保守」の真実”
の文字があります。
届けてくださったのは、観音寺市にある大平記念館館長の加地淑久さんで、父の生前に陶芸教室で一時期をともに過ごしていただいた方です。
昨年末に加地さんと父と私の三人で、久しぶりに教室の前で立ち話をしたばかりで、突然の出来事を後に知り、信じられない気持ちでお参りに来てくださったのです。
父との思い出話とともに
「大平は、膨大な量の本を読んだ。
政治に携わるものはしっかり読書をしなくてはならない。
今の政治家は本を読まなすぎる。」
と話しながら手渡してくださいました。
読み出してまだ はしがき と 序章 ですが、熟読したいと思っています。
今般の日本政治のドタバタ劇を見聞きするに付け、この時期にこのような本が世に出ることの意味は、『鈍牛』とともに『最後の政治家』といわれた、「大平正芳」のような人物が待望されていることの証のようです。
これからちょくちょく、大平記念館にお邪魔しようと思っています。
地域資源としての地元企業・9
今年最初の企業訪問は、三豊市山本町に店を構える まんが堂代表 大西正弘さんにお願いしました。
私が大西さんと始めて出会ったのは、おそらく35年も前のことだったのではないかと思います。
私は高校生で、原泰弘君という親友が通っていた塾の先生(故伊藤健二さん)の親族に大西さんがいて、しばしば遭遇していたのです。
その時から年齢不詳の 「不思議なおじさんだなー」 と思っていたのですが、気がつけば、子どもの世界では知る人ぞ知る、カードゲームや特殊玩具を扱う地域一番店の店主となっていて、今や不思議を通り越して 「カリスマおやじ」 になっているのです。
まんが堂は、玩具・節句人形販売店として昭和53年に創業し、30年余の歴史を刻んでいます。
平成4年に現在地へ新築移転オープンしてからは16年程になります。
この間、地域の子どもたちの集いの場所として賑ってきました。
年々子どもたちの遊び方が変化することに着目し、旧来のおもちゃからTVゲームへ、そしてミニ四駆やカードゲームへと比重を移してゆくとともに、単なるおもちゃ屋からお客さんとの人間関係を大切にするお店へと変化してゆきました。
この変化の中から見えることは、特にカードゲームのブームは、子どもたちがTV相手ではなく仲間(遊び競う相手)を求めだしたことにあり、子どもたちが一人遊びからコミュニケーションを求めだしたことにあるようです。
また、カードはTVゲームのように高価ではなく、子どもの小遣いで自分の判断で買いやすい価格であることにもよります。
ミニ四駆大会に始まった子どもたちの遊び競う催しは、今もカードゲーム大会として継続されており、年中毎週末に開かれるこの大会には、県内に止まらず県外からも噂を聞いた参加者が多く集い、子どもたちの交流の場となっています。
まんが堂は、子どもたちと、子ども時代をここで過ごしたお客さんによって、支えられています。
「2割の売り場面積で8割の売り上げがあり、2割の常連客が8割の売り上げに貢献している」とのことで、特に子ども時代を まんが堂 で過ごしたお客さんにとっては、
「まんが堂をつぶしたくない つぶれると僕たちの行き場がない」
という思いが強いのだということです。
こんなお客さんが まんが堂 をつくっているのです。
大西さんの
「子どもたちが、修学旅行から帰ってきたときや大学生になって帰省した時に、お土産を持ってきてくれるんだ」
と話すときの笑顔には、さすがに究極のサービスを提供してきた結果の証を見る思いでした。
まんが堂店主 大西正弘さんは現在63歳で、お客さんである子どもたちからすると、おじいちゃんといわれてもおかしくない年齢ですが、未だに まんが堂 のおじさんなのです。
私が初めて出会ったときはまだ20歳代後半であって、お兄さんといえる年齢だったのでしょうが、その時から歳をとったことをまったく感じさせない、私にとってはあの当時のおじさんのままなのです。
「子どもやお客さんが喜んで来てくれる間は、お客さんのニーズを素直に受け入れ、店を続けたい」
と抱負を語ってくれました。
サービスの原点と本質とは、人と人との心のふれあいによる、とびっきり上等の感動の提供なのだと、熱いものを感じる訪問でした。
皆さんも是非 まんが堂 に足を運んでいただき、店主とうだうだ話に花を咲かせてはいかがでしょうか。
店主に成り代わりましてご案内申し上げます。
大西さんには、うだうだの1時間、お付き合いいただきありがとうございました。
『産学金』 連携の試み
「地域資源活用」・「農商工連携」・「産官学金連携」など、非常に厳しい地方経済を活性するための施策や言葉は毎日のように聞こえてきます。
実際、地域にある優れたものや特性を見つけ、連携してそこに新たな生命を吹き込み、価値を生み出す試みが進められています。
昨年の11月22日付けのこの場でも紹介した、竹を原料にして地元企業が開発した竹綿製造機で、地域循環型のビジネスモデルが企画検討され、21年度から三豊市の事業として構想が練られる方向となっています。
1月21日(水)、“香川県中小企業家同友会三豊支部”の1月度例会で、パネルディスカッションによる『産学連携で、地域資源の見直しを!~未来を担う若者(人財)のために、今私たちにできることは~』がおこなわれました。
私がコーディネーターとなって、すべてを仕切る意気込みで企画してきたのですが、突然の父の他界でこの日はあいにく二七日忌の回り目となり、その役を譲ることとなったのです。
お看経(おかんき)の御勤めが終わり、会場に駆けつけたのですがすでに終了間際で、結局二次回の懇親新年会だけの参加となってしまいました。(もちろん会費は支払いました)
今回のパネルディスカッションによる例会は、初めての試みであっただけに、評価が気になっていましたが、アンケート結果も概ね好評で次に繋がる一歩が示せたのではないかと胸を撫で下ろしています。
事前の打合せ通りで進行されていたならば、次のようになっていたはずなのです。
パネラーは、詫間電波工業高等専門学校/電子工学科教授 三崎幸典氏
(株)七宝/取締役農場長 筒井和光氏(会員企業)
観音寺信用金庫/常務理事 松本健一氏
コーディネーターは、藤田鉄工(有)/代表取締役 藤田一仁氏(会員企業)
と、なっています。
筒井さんから、たまねぎの採取業界の深刻な問題として、受粉に欠かすことのできないミツバチの謎の大量死や失踪があり、解決の糸口すら現状無いとの発言がありました。
それに対して三崎先生から、農業の業界には無い着眼と発想で、電子工学の科学的視点でのアイデアと切り口の提案がありました。
そして、研究開発の資金援助としての地元金融機関の存在と役割の重要さの確認がされました。
と、(アンケートの評価から推測すると間違いなくこのように)なっているはずです。
藤田さんには、やむを得ないこととわいえ私の一方的な事情で、急のコーディネーター役を申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。
地域資源ともいえる、農業関係企業の(株)七宝と研究教育機関の詫間電波、金融機関の観音寺信用金庫の三者による、『産学金』の連携の具体例が示されたと考えています。
このような連携の取り組みが、三豊市と観音寺市の広域地域で盛んに繰り広げられ、ある一定の成果の見える段階で『官』が絡み、地域経済再生へと波及してゆくよう仕掛けてゆかかければならないと考えています。
300回目に訪れた様々な機会
ついに300回を迎えました。
思いがけない突然の父の死で、襟を正す機会を得ることができました。
新たな歩みの記念すべき書き込みとなれば良いと思っています。
18日(日)に、 “二本!? マイ箸協会” 会長で書道詩人の “てらきち” こと寺山喜博さんの 『マイ箸でつなぐ、心と心 人と人』 のお話を聞く機会に恵まれました。
文部科学省の平成20年度「学びあい、支えあい」地域活性化推進事業の補助により実施されている、“からだにやさしく、地球にやさしく暮す講座” の5回シリーズの1回目の講座です。
彼は、1979年7月23日生まれの30歳の若者です。
自分の気づきに素直に行動する感性とバイタリティは、とんと忘れていた「生きること」を呼び覚ましてくれるに余りあるお話でした。
純粋に、しかも忍耐強く信ずるものを追い、突き詰めることの大切さと同時に、人というもの幾つになっても謙虚で柔軟なるべしことを、改めて気づかされた機会となりました。
『割り箸を1回使うだけで捨ててしまうってもったいない。 ストップ! 森林破壊』
その人その人にできることからの、一つ一つの取り組みが力になるのだろうと思います。
3日前の15日(木)には、本年初めての『菜の花プロジェクト』の定例会がありました。
この活動も2年目を向かえ、そろそろ確かな方向性を定めなくてはならないと思います。
【遊休地・耕作放棄地の再生】と、【農業の担い手が育つ仕組みづくり】が目標となるのではないのかと私なりに考えています。
父の突然の死によって、農業に正面から取り組む機会を頂いたのだと受け止めています。
地域産業基盤の確立と教育問題に加え、農業問題も私の議員活動課題であることが鮮明となってきました。
17日(土)には、10年ぶりにトラックターに乗り、ブロッコリー作付けのための田んぼを耕す、記念すべき機会となったのですが、慣れないことをしたせいなのでしょうか、肩こりと同時にしばしば首筋に電気が走るような激痛があり、わが身のふがいなさと歳を感じているところです。
様々な機会を捉え、謙虚に学び、自らが柔軟に変わって行けるよう何事にも取り組みたいと思っています。
父の死
平成21年1月8日 木曜日 午後3時58分 私の父親である詫間貞利(香川県伝統工芸士)が、まんのう町の永生病院で亡くなりました。
満76歳 享年78歳 4日後の12日に迎えるはずの77歳の誕生日を待たずしてのことでした。
倒れたすぐから近くに居た方々、救急隊員の皆さん、そして病院の先生や看護師さんなど、どなたもが誠心誠意最高の対応をして下さいましたが、それに答えることなく人生の幕を引くこととなりました。
それは突然のことでした。
地元のJA関係者と生産者の皆さんが集う、果樹部会の懇親会の最中でした。
その日の朝、この日のために用意したまっさらの服を着て出かけてゆきました。
「けっこいかっこしてどこいくんな?」(きれいな服着てどこへ行くんですか?)
「おお、農協の会でコンピラへ行って来るきにの」(琴平へ行って来るからな)
「おお」
これが私と父の最後の会話でした。
倒れたとの連絡を受け駆けつけたときには、すでに心肺停止の状態でした。
しかし、その顔は穏やかで寝ているようでもあり、今にも目覚めそうに映りました。
後で聞いた話ですが、そこで出された料理を「うまい」と言って全部たいらげていたそうで、満腹で幸せそのものだったのでしょう。
その場に居合わせた皆さんには、突発の出来事とはいえ貴重な時間を壊した上、お手を煩わせましたこと心苦しく、衷心よりお詫び申し上げたいと思います。
ただ、気の置けない多くの皆さんに囲まれたにぎやかな中で、最後を迎えられたことは何よりの喜びであったろうと思うに付け、感謝の気持ち一杯でなりません。
その日まで、家族にも痛いとも苦しいとも一言も話していませんでした。
父は、若い時から大きな病気一つせず、入院したこともなく、命に関わるような治療も受けていませんでした。
若いころから家業の土管製造業に携わり、力仕事と昼夜を問わない窯焼きや農作業にと、体を使い働き詰めだったことは間違いありません。
間際まで元気だっただけに、76歳は少し早かったのかも知れませんが、遣り残した事がないくらい自らの肉体を使い、生ききったのだと私は思っています。
そのように信じられるような、父の生き方でもありました。
私たち家族に手を掛けさせることもなく、あまりにも水臭い、しかし、あまりにも潔い(いさぎよい)最後であり、父の生き様そのままの、死に様だったと思っています。
「家族や親族のことはお前に任せたぞ 皆さんのためにしっかりやれよ」 と言っているのだとも思っています。
生前父がお世話になった皆様方には、今後とも変わらぬお付き合いをいただけますことを心からお願い申し上げ、お礼と再出発の決意といたします。
12月議会の一般質問報告(2)
前回に引き続き、12月議会の一般質問の2件目「空家廃屋対策について」をお伝えします。
【質問】
少子高齢社会が進み人口減少が著しいなか、三豊市内各所集落で居住者不在の空家及び管理放置された廃屋が多くあり、これから益々増加するものと予測されています。
安心・安全な生活の確保のための防災や治安、また地域活力に影響する景観等の観点から、周辺住民の努力だけでは対応に限界があるとの不安の声が寄せられています。
人口減少時代の新たな政治課題と考えるが、この問題に対する、現況における市の認識を問います。
【答弁】
空家廃屋問題は、いま市内外の自治体・自治会において、治安や倒壊の危険及び景観等で大きな問題となっています。
現在、私有財産の権利は法的に保護されており、現在の法律だけでは解決に至らず、自治体にあっても手を出しにくい問題です。
それでも、この問題は年々深刻な現実を招いており、重要な政治課題との認識にあります。
今後、空家等が不適切管理となり、住民生活に重大な障害が生じる恐れがあるときは、近隣住民、警察、行政等が対策に取り組みやすい環境づくりのために、必要な指導、適正管理の勧告、措置命令、緊急措置の条例制定が可能であるかの調査・研究を進めます。
やれやれ、ようやく去年の報告が終わりました。
ほっとすると同時に、このような議会報告でよいのか自問自答しています。
今回で298回目の書き込みとなりますが、おおよそ一年先には2回目の三豊市議会議員選挙が控えている現実で、こんな程度のことを4年目の今やっていてよいのだろうかと、自己嫌悪に陥っているところです。
きっと、何かが足りないのだろうと自覚しています。
そして、命を賭ける何かが欠けているからなのだろうとも気づいています。