長野県小布施町のまちづくり

塩尻市での研修の翌日(10月6日)は、同じ長野県の北部に位置する小布施町を訪問しました。
視察研修の目的は、少子高齢化による人口減少の中で発生しつつある、居住者不在による管理放棄された空廃屋対策の糸口を模索するためです。
小布施町の議会事務局に受入依頼した内容です。
『全国の自治体同様、三豊市では、少子高齢化に伴い人口減少が著しく、空廃屋が多く発生しており、防災・治安・景観等の問題が行政課題になろうとしている。
また、三豊市仁尾町の街並み保存にも、居住者不在住宅が増加しつつある。
貴町が修景事業に取り組んだ本来の目的と結果としての成果の差異があるとすれば、現状どのように分析し、今後に活かそうとしているのか。』
小布施町は千曲川のほとりにあり、江戸時代後期から水運を利用した港町として繁栄してきました。
商業や農産物で財を成した豪商・豪農が生まれ、彼等によって多くの文人墨客が招かれ、今日まで続く文化の薫り高い雰囲気が根付いてきました。
また、小布施は江戸時代より栗の産地として天領となっていました。
なぜ、“小布施のまち”が集客力のある魅力的なまちになったのかには、五つのポイントがあります。
(1) 人口政策のゆるぎない拠り所として、このまちはよそ者を受け入れやすい資質を持っているということ。(様々な人々の行き交いによってこのまちは生きてきた)
(2) 北斎館などの美術館の整備がされた。(観光目的ではなく、作品の散逸を防ぐことが本来の目的であった。美術館が10ヶ所ある)
(3) 地場産業の栗菓子店の活躍があった。(文化に続いて食の要素が整った)
(4) 町並み修景事業が展開された。(民間の力を活用し、土地の売買をせず北斎館周辺15,000㎡を回遊できる計画が実行され、“外は皆のもの、内は自分たちのもの”の考えが浸透した)
(5) 花のまちづくり事業が成果を発揮した。(街並み修景事業と歩調を合わせるように、オープンガーデンが始まり、花をテーマにおもてなしの心が定着した)
今では、年間100~120万人(小布施の人口の100倍)の観光客が訪れるまちとなって持て囃されていますが、それは結果としての成果であり、最初から小布施を観光地にしようなどとは考えていなかったのです。
なつかしく、やすらぐ、ホッとする、をモットーに町民すべてが係わってゆこうとしており、“小布施人の小布施好きを、お客好きが下支え”しているのです。
観光地にしようとするのが目的ではなく、自分のまちのすばらしさを一つ一つ大切にしてきたことの結果が、地域の活力に成果として結実したのだといえます。
何事でもそうですが、“好き”が一番です。
それをどのような手段で表現するのかは、その地域にしかない“好き”の匂いを嗅ぎ分けることなのだと思うのです。
そんな素朴なことを感じた研修でした。