年の暮れに思う

三豊市が誕生して2年目の平成19年も押し詰まってきました。
この一年を振り返りながら、ふと思い浮かんだ人がいました。
(社)青少年育成国民会議副会長である、上村文三先生のことです。
私が青少年育成アドバイザーの通信講座を受講していた、3年前の年の暮れに参加した宿泊研修の担当講師です。
上村先生は今年の10月に、まんのう町で開催された「琴平地区少年育成センター 創立30周年記念大会」に、記念講演の講師として招かれていて、私も聴講させていただいたのです。
その時の演題が「大人(親)が変わると子どもも変わる 親見れば僕の将来知れたもの」で、人間社会でのコミュニケーション能力の大事さを、その発達の遅れを社会や家庭の育てる力の減退に、原因を見いだしたものでした。
「伸びよう伸ばそう育つ力育てる力」をスローガンに活動してきたが、特に育てる力が弱くなっていることが根本問題だと考える。
人は生まれながら皆人間になるのではなく、人間になる道を家庭や学校や地域で教えられ、人のまねをして体験することで初めて人間になる。
そうしなければ、人間の形をした化け物となるだけだ。
現代社会は、地域、家庭でも大人が享楽にふけっており、大人(親)が変わらなければ子どもが変わるはずがないのだ。
それでは、大人(親)のどこをどのように変えればよいのかだ。
私は母親の言葉から、①おもいやりの心 ②感謝する心 ③人に役立つことをする 
父親からは、 ①途中で止めない強い心 ②我慢する耐える心 ③敬愛の敬う心 を教えられた。
これらの教えの中から、畏怖する心に気づき、その結果「人柄」という人間力を身につけることの重要さに行き着いた。
「人柄」という人間力とは、まさにコミュニケーション力であるといえる。
人間は他人と全く関係を持たず生きることができないことは、誰もが当然のことと知っている。
それでは、コミュニケーション力に必要な能力とは何か。
①人の感情や意志を理解する能力
②場の雰囲気を理解する能力
③社会のルールを理解する能力
④相手に自分の考えを理解させる能力
これらの社会的能力を養い、使いこなして人間関係を作らなければ生きてゆきにくい。
ところが、家庭における親子のコミュニケーションは実に悲惨な現実である。
小家族になり話す機会が減ることと合わせ、直接話さなくても便利な社会になったなどの理由で、極端に親子の関係が希薄になっている。
対処療法ではなく基本対策が大事だ。
「一に健康、二に人柄、三・四がなくて五に頭」として、大人(親)が手本となり生活習慣や人とのつきあい方などの、社会規範と躾に取り組める社会環境を創ってゆくことだ。
なぜ年の暮れの今、私がこんなことを思い考えているのかなのですが、この一年を振り返りコミュニケーションのとれない三観広域行政組合の現実と重ね合うからなのだろうと思うのです。
当日配られた資料に、「国家の品格」の著者である藤原正彦さんの、“基本的な社会のルールを守らない、守れない若者たち”へ宛てた手紙がありました。
一部抜粋ですが最後に記したいと思います。
『昔の日本人には、「他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい」などと考える人はいませんでした。
道徳心の低下は若者だけではありません。「法律に触れないことなら何をしてもよい」という大人が多くなりました。
法律には「嘘をついてはいけません」 「卑怯なことをしてはいけません」 「年寄りや体の不自由な人をいたわりなさい」 「目上の人にきちんと挨拶しなさい」などとは書いてありません。「人ごみで咳やくしゃみをする時は口と鼻を覆いなさい」とも「満員電車で脚を組んだり脚を投げ出してはいけません」もありません。すべて道徳なのです。人間のあらゆる行動を法律のみで規制することは原理的に不可能です。』
多くを内包した示唆に富む内容だと思っています。
やるべき方向ははっきりしています。
特別なことをやらなくも、当たり前のことを日々続けることなのです。
「自らを律する」こと、これこそが実は永遠の課題なのです。