20日午後1時30分より、委員会室において委員会を開きました。
今回の委員会の開催は、三豊市議会始めての教育民生常任委員会の運営の方向を、委員の皆さんから意見を聞き、定めてゆくためのものです。議会運営もそうですが、常任委員会の運営もすべてがまっさらで前例のないことであり、これからの三豊市議会のあり方に大きく影響を及ぼすのではないかと考えています。
今回の委員会の目的である「今後の運営方法と研修テーマ」の協議の前に、以前より健康福祉部から、議会への説明と意見を聞く機会があればと打診のあった案件について、協議の時間を設けました。
市長の公約でもあった「乳幼児医療費窓口無料化」について、と「高齢者福祉サービス」についてです。
現在、三豊市では満年齢9歳未満の乳幼児に対する医療費を助成しています。
今までは、病院などの窓口で、保護者の皆さんが医療費の一部を支払った後で、病院などから証明を受け、市に申請し、後から返金をしてもらうこととなっていました。
今回の助成の方法の変更は、保護者の皆さんは窓口では支払わずに、病院などが直接市に申請する事となるものです。
医療費の窓口無料化については、三豊市の4月の広報誌でも大きく扱っていましたが、「乳幼児医療費」だけではなく「母子医療費」と、「障害者医療費」も要望があがっています。
18年度の取り組みとして、「乳幼児医療費」と「母子医療費」は、出来るだけ早期に実施したいとのことです。「障害者医療費」については、2つの医療費窓口無料化の様子を見て検討の考えだということです。
健康福祉部としても、これらの実現に向けてはまだまだ調整しなくてはならない問題が多くあり随時進捗状況を報告してゆきたいとのことでした。
特に、大きな点として2点あります。
1つは、対象医療機関などとして、三豊市内に「医科」が39件・「歯科」が27件・「薬局」が26件・「接骨院」が11件で、あわせて103件あります。これらの医療機関と医師会などとの連絡調整があります。
2つ目は、助成方法の変更による給付費の増額です。「乳幼児医療費」で5000万円、「母子医療費で」1800万円で、年間にすると6800万円の増額が試算されます。18年度は、実施したとしても半年過ぎてからと思われますが、それにしても3400万円の増額補正が求められます。財政再建の急務な中でどのような財源を当てるのでしょうか。三豊市のサービスの質の向上と行財政改革の理念が問われます。(この場での説明は、財政調整基金を考えているとのこと)
よりよい制度になるよう議論を尽くしたいと考えています。
乳幼児医療に対する行政による助成は、そもそも少子化対策の施策のひとつとして制度化されたものであったはずです。
国のこれからの方針も、平成20年からは中学生までを対象にして、医療費負担の軽減をしたいとしているとのことですが、
このような策が本当に少子化にストップをかけることとなり得るのか。
医療費窓口無料化の議論にとどまらず、出生率アップによる少子化対策の議論にも及ばなければならないと思っています。
健康福祉部からの2点目の説明は、「高齢者福祉サービス」についてでした。
18年度からの第三期介護保険の見直しによる制度とサービスの変更及び、旧7町間の介護サービスのばらつきの平準化案の説明でした。
介護保険サービスの大きく変わったところは、介護を必要とする前にいつまでも元気で生活してもらうための、デイサービス事業を中心とした新予防給付(要支援者)と地域支援事業(要支援に成りそうな者)の実施というものでした。
三豊市の65歳以上の高齢者人口は、20000人ほどとなり高齢化率は25%を越えています。これから2~3年のうちに団塊の世代ピークの方々が定年退職を向かえ、6~8年後には更なる高齢化率の上昇が決定ずけられています。
いつまでも元気でいていただくための、要支援に成りそうな人のための介護保険制度の見直しと、すべての高齢者の健康増進と維持をすると言うことです。
教育民生常任委員会には、多くの課題が山積しています。
「今後の運営方法と研修テーマ」の協議については、後日お知らせします。
三豊市の公共施設
18・19・21日の三日間をかけて、市議会議員全員で三豊市の200ほどの公共施設を見て回っています。7つの町が集まっただけで、私たち自身が三豊市にどれだけの公共施設があるのかすら知らない状況でした。
それにしても、あまりにも立派な施設が多過ぎて、喜びを通りこしてこれから三豊市が負担しなくてはならない維持管理費の経費を考えたとき、想像を絶する現実にいらだちを覚えたのでした。
昨日は豊中・仁尾と、詫間(島を除く)の施設を見て周り、そして今日三野・高瀬・財田・山本を巡り、一通り全市を確認しました。明日の20日は教育民生常任委員会を開き、再び21日に詫間の島を見学に行く予定です。
三豊市の町創りは公共施設と遊休施設の有効利用と人件費の削減が同時進行でなくてはならないと思います。
私たちの三豊市が、どのような方向へ向かうのかは、我々と皆さんの意思で決まります。
そのためには、市民の皆さんに現実をお知らせするしかありません。
公共施設の全容が把握でき次第この場を使って情報提供します。
ご意見をお聞かせください。
三豊市の遊休施設
どうしても皆さんに伝えなくてはと思ったので、ちょっと遅くなりましたが、先週の木曜日(4月13日)に「三野町太陽の家」と「三野町保健センター」へ行った時のことを書き込みます。
障害者のお世話を熱心にされている池田さんと、障害福祉課の関課長と三野支所住民課の藤田課長と私の4人で訪問しました。
目的はこの施設を障害者が仲間に会いたいときに、そこに行けば誰かいる、気楽に集える場として使用できないか?ということでした。
「太陽の家」は、この趣旨のために建てられたもので、現在は知的障害児のグループが使っているだけで、そのグループとの日程調整はいるものの、いつでも利用してくれてよいとのことでした。
次に、隣にある「保健センター」を訪問しました。
事務室、ホール、畳の間、そして身体障害者がリハビリをおこなう機能回復ルームなど、どれも立派なものでした。
センター内は子どもと保護者と保健師の皆さんでわいわいと活気にあふれていました。この施設は有効に活用されているな、と一瞬思ったのですが実はそうではなかったのでした。その日はちょうど、乳幼児健診の日だったからです。
では、いつもはどんな使われ方をされているのかと訊けば、「管理人がいないので、施錠し何にも使っていません」とのこと。
思わず心の中で叫んでいました。「まさか!嘘やろ!」と。
特に、池田さんが「もつたいない」といったのは、障害者のリハビリの設備でした。県の福祉センターのものよりも新しくてきれいだということでした。こんなに良い物が揃っているのにどうして使わずに仕舞い込んでいるのだろうということです。
案内してくれてる課長は二人とも旧三野町の職員で、この施設のことを建設のときから知っている人なのでいろいろと説明をしてくれました。
旧三野町時代には健康福祉課が入っており、もちろん保健師も常駐していましたからリハビリの指導も可能だったのだが、合併で職員が本庁に集約されたために、管理・指導する人がいなくなってしまったということです。
身体障害者にとって機能回復訓練はとても重要な問題です。ただ闇雲にやればよいのではなく、専門知識と資格を持った管理者の指導のもとで行われなくてはなりません。必要とされる人材と優れた設備が、目標の定まらない効率化の口実で引き離され、効率的に機能していないなんてお笑いのネタのようです。
遊休施設の有効利用と、適正な人員配置は、待ったなしです。
20日の教育民生常任委員会で、しっかり議論します。
合併の混乱で、市民の皆さんにはご不便をおかけしていることをお詫びします。
三豊市少年少女発明クラブ
今日、三豊市高瀬町農村環境改善センターで開校式が催され、私も出席させていただきました。
このクラブの前身は、高瀬町少年少女発明クラブで、昨年発足したところだそうです。
ちょうど三豊市発足にあわせ、三豊市少年少女発明クラブとして、社団法人発明協会の183番目のクラブとしてスタートすることとなりました。
子どもの理科離れが久しく言われていますが、子どもたちが理科の面白さに気ずくには、なんといっても実験や体験による感動をどれだけ経験するかにかかっていると思います。
山路会長の挨拶は、使命感とも思える熱い想いと、子どもたちに対する強い期待感がしっかりと伝わってきて思わずぐっときました。
また、矢田副会長のご自身の体験にもとずくお話は、子どもたちに創造することの楽しさがしっかりと伝わるものでした。
これから毎月、第一第三土曜日に実施されるとのことです。早速、5月は詫間電波高専の三崎先生によるロボット教室が始まります。全国制覇に導いた実績と情熱で三豊市の子どもたちに感動体験させてやってください。よろしくお願い申し上げます。
「俺らってすごいよな」の感動を胸に、三豊市少年少女発明クラブの皆さん、思いっきり楽しんでください。
世界一の発明王目指して頑張れ!!!!
桑山長寿会総会
不動の滝カントリーパークにある豊中コミュニティーセンターで、盛況に行われました。
昨年急逝された故筒井前会長に変わり、急遽会長に就任された森新会長の開会の挨拶がありました。
とにかくすごいと感動したのは、会長の真っ直ぐな挨拶もさることながら、日の丸を掲げ、君が代を斉唱したことでした。
年度替りのこの時期に数々の団体や会から、総会の案内を頂き出席させていただきますが、これほど凛々しく整然とした総会を経験したことがありませんでした。
気持が違う、想いが違う、腹のすわりが違う、生きた証を突きつけられた衝撃でした。
ここに出席している方々は、多くが戦前・戦中に青春を過ごしたに違いありません。戦争で肉親を奪われた方も多くいると思います。その人たちが見せた今日の総会は、戦後の日本のあり方について深くを考えずのんべんだらりんといきた私たちに対する、言外の訴えとも思えました。
「お前たち、この国をこれからどうするのだ? この三豊市をどうするつもりなのか?!!」と・・・・・・・・・
おりしも、今日の朝刊で教育基本法改正与党案の報道がされていました。見出しに「現行法との違い歴然」と大きく印刷されていました。憲法改正論議もそうですが、たちまち戦前に戻るような否定的(感情的)な捉え方ではなく、今の日本の社会に何が本当に必要とされているのかを、さまざまな角度から意見を出し合わなくてはならないと思うのです。
どんなにすばらしいことを唱えたとしても、それを実現すうためには力が必要です。どんなにすばらしい正義を主張したとしても負けたのでは罪人のレッテルを貼られるのです(戦後の日本のように)。
強い国しか理想と信念を追及できないのではないのか?
桑山長寿会の皆様は、いかがお考えでしょうか?
すばらしい総会に同席させていただき本当にありがとうございました。
財政再建について
三豊市発足から3ヶ月半が過ぎようとし、初代市長と初の市議会議員が決まり、2ヶ月が過ぎました。
ようやく私も少しおちついてきました。遅くなりましたが、この場を使って、7町合併がより早く実のあるものとするために、議員として何から取り組むべきかを伝えてゆきたいと思っています。
今日は、三豊市の18年度予算案における地方債残高(借金)についてお知らせします。
三豊市の17年度末地方債残高は308億円です。
18年度予算案歳出において、元金の償還(返済)見込み額は28億円であり、歳入は30億円の更なる起債(借り入れ)となっています。
308億円の借金の上に2億円の積み増しとなっています。しかも、ここで記している数字は元金であり、実際には毎年利子が6億円以上当てられているのです。これもすべて市民の皆さんの税金で賄われているのです。
6月議会において18年度の新規事業のための補正予算が提案されるようです。予算化には財源が必要です。どこから工面するのでしょうか?
財政調整基金(普通預金)の取り崩しが先ずひとつ。そして、やっぱり地方債(借り入れ)でしょうか?。すでに2億円の借金の増に加え、さらに借り増すのでしょうか?
財政調整基金は18年度末見込みで26億円の予測ですが、18年度すでに11.5億円使うことになっている残りの分なので、この上に取り崩すとなると19年度予算は組めても、20年度は組めないかもしれません。
まさか特定目的の基金(積み立て預金)の、普通預金化はないでしょうね。
そんなことにならないためには、待ったなしの行財政改革を強力に推し進めなくて行くしかないのです。
市長が行財政改革推進室を新設しました。
何から手を付けてゆくのか。新延室長を中心に早速動いているようです。
議会はよりいっそうはっぱをかけ協力するべきところはしなくてはなりません。そのためには、自分自身の行革に対する考えをしっかりと持ち合わせていなくてはならないのはもちろんです。
人件費の削減は避けて通れません。私なりの切り口を伝えてゆきたいと考えています。
認知症を考える会
4月9日(日曜日)、高瀬町農村改善センターで三豊市立西香川病院主催による講演会が開催されました。
横山市長の挨拶に始まり、県と国のそれぞれの担当課より、今回の介護保険法改正にかかわる説明がありました。
特に、認知症をテーマに行政と介護の現場の視点からの内容でした。
これからの高齢社会像の概略の説明がありました。
10年後の2015年の日本は、次のような状況になっているとのことです。
1. 高齢者人口の「ピーク前夜」へ
2015年には「ベビーブーム世代」が前期高齢者(65~74歳)に到達し、その10年後(2025年)には高齢者人口がピ
ーク(約3500万人)を迎える。
2. 認知症高齢者が「250万人」へ
認知症高齢者(現在約150万人)が、2015年には250万人になると推計される。 3. 高齢者の一人暮らし世帯が「570万世帯」へ
2015年には、高齢世帯は約1700万世帯に増加。そのうち一人暮らし世帯は約570万世帯(約33%)に達する。
4. 「高齢者多死時代」へ
年間死亡者数(現在約100万人)は今後急増し、2015年には約40%増の140万人、2025年には160万人に達する。
5.今後急速に高齢化するのは、首都圏をはじめとする「都市部」。「住まい」の問題を含め、高齢化問題は従来と様相が 異なってくる。
このような社会状況の中で、これからの3年間(3年ごとに見直す)の介護保険のあり方が考えられてきたのです。その結果次のような方向が導き出されています。
団塊の世代の高齢者はこれまでのそれとは意識が違う。これまでのライフスタイルによってサービスの内容が変わる。
夜間対応型訪問介護の需要増。
施設での死亡者が増えるためにターミナルケア(人生終末介護)が必要とされる。
このような考え方の中で、高齢者が住みなれた地域でできる限り生活が送れるようにするための方法が「地域包括ケア」(地域包括支援ネットワーク)の確立ということでした。
介護保険については、教育民生常任委員会でも継続研究テーマとして取り組んでゆくつもりです。
かなりの雨
今日も雨。
豊中幼稚園の入園式があった昨日よりも、雨脚はかなり強い。
この雨で、桜の花も散り急ぐのかも知れない。
皆様のご支援で、三豊市議会に送り出していただき、今日で2ヶ月が過ぎようとしています。
この間、臨時議会があり、三豊市議会始めての定例会あり、年度替わりの諸行事ありと、めまぐるしく日々が過ぎてゆきました。
その間にも市民の皆様から、さまざまな意見をお聞きしました。
私のそれらの印象として、合併に対する否定的な意見よりも、前向きな提案型の意見が多く寄せられていると思っています。
地域審議会・学童保育・青少年育成センター・障害者福祉・地区公民館の組織・教育施設の耐震化など、安心して暮らすための基本的で建設的なものでした。
また、県も主要事業として推進していますが、これからの三豊市を作ってゆくための切り口であると思われる観光への取り組みとしての、観光ボランティアガイド育成や伝統工芸や地場産業を生かした振興事業など、市民の皆様もともに考えているのだとの意を強くしました。
もちろん、職員の給与の洗い直しや、財政健全化として適正な職員数とその配置、仮本庁舎と支所の関係、そして遊休施設の有効活用など、経常経費の削減を求めるのも、継続発展できる三豊市にしなければならない、また三豊市を何とかしなければならないとの想いからの指摘であると思います。
来週から、参加希望議員による三豊市内の公共施設を見学に行く計画があります。これも私たち議員がすべての施設すら知らないという現実があるからです。
先ずは、一歩から歩みださなければ何も進まないと言うことです。
知らない間に、あれほど激しかった雨も上がり鳥のさえずりが聞こえてきました。
午後から、高瀬の教育委員会事務局幼児教育課へ出かけてきます。
外は、かなりの雨を降らした雲が、一挙に梅雨時を思わせる蒸し暑さをつれてきました。花見で浮かれていると、早梅雨?????
ぼやぼやしていると、時はどんどん先へ逃げていく。
豊中市立桑山小学校校入学式
4月6日、わが母校桑山小学校の入学式に、三豊市議会議員として出席しました。
来賓として、19名の新入生にお祝いの言葉を述べました。
「小学校ゆうたらどんな所なんやろう。ワクワク、ドキドキしていることでしょうね。でも心配はいりませんよ。桑山小学校の先生も上級生のお兄さんもお姉さんも、皆さんがわからないことを恥ずかしがらずに聞けば、やさしく教えてくれますよ。
だから、これから6年間、この桑山小学校でしっかりと勉強に、運動に、遊びに頑張ってください。
私たちは、皆さんのことをいつでも応援していますよ。
頑張ってください。
保護者の皆さん、本日はお子様のご入学おめでとうございます。今、食育教育が盛んに言われています。朝食をしっかりとる子どもと、そうでない子どもとでは、学力や心の成長に大きな差が出ています。
学力だけではなく、お子様の安定した心の成長のためにも、ご家庭の健康管理や教育環境作りに充分ご配慮たまわりますようお願い申し上げます。
教育とは、学校だけではなく、ご臨席の地域の皆さんや行政、ご家庭の協力があって初めて成り立つものです。
最後になりましたが、お子様の健やかなる成長と、皆様のご多幸をお祈りし私のお祝いの言葉といたします。」
桑山っ子、豊中っ子、三豊っ子 大きく羽ばたけ!!
入学式を見ていて思いを強くしたことがあります。
子どもを育てるには、小さければ小さいほど(幼なければ幼いほど)細やかな手をかける必要があるのではないかと・・・・・・・
豊中幼稚園の300人を超える園児の数は、あまりにも異常ではないのか。
教育民生常任委員長としての仕事は、先ずここにあるのかもしれないと思わされた瞬間でした。
三豊市立豊中中学校歓送迎会
4日、我が母校の豊中中学校の先生方の歓送迎会に来賓として出席しました。
旧豊中町では、町議として小学校の歓送迎会にはPTA会長時代も含めて何度か出席していましたが、中学校は初めてでしたので、とても新鮮でした。
しかも恥ずかしながら、娘と息子がお世話になっているにもかかわらず、初めて挨拶を交わす担任の先生方との酒宴でのわが身の姿は、我ながらあまりにも滑稽であり、父親としてもっと積極的に学校との係わりを持っておくべきだったとの反省も含めた、新たなきずきでもありました。
来賓としての挨拶の時間を頂、つぎのようなお話しをさせていただきました。
「最近のTVを見ていると、バブル絶頂期の番組に似ています。高収入が得られるホストになろうとする若者を追いかけたドキュメンタリー番組です。そのとき私が、思い出したのは15年前(バブル期)に読まれた 清貧の思想 とゆう本のことでした。その中にこんなことが書かれていました。
”足ることを知らば貧といえども冨と名ずくべし、財ありとも欲多ければこれを貧となずく。” とゆう10世紀の僧侶の言葉でした。
まかせっきりで勝手なお願いですが、先生方には子どもたちが生きるための技術や手法としての学業の習得はもちろん大切なことですが、それと同時にそれらを生かし一生を自分らしく生き抜ける目には見えないけれど確かな心の有様もあわせお導きいただきたい。」と。
先生方、今思い出すと一人の親としては決していえない言葉ですが、子どもの将来を心配する親の代弁する立場だからこそいえたと思っています。
転出される先生方ありがとうございました。
転入される先生方よろしくお願いします。
健康には充分気をつけて頑張りましょうね。私ももちろんです。